歴史

日本海海戦

 先日新聞広告を見ていて気になる広告が
「帝国海軍指揮刀」である
sikitou
日本海海戦の時に東郷平八郎が使っていた物の模造品らしい。

 「日本海海戦」
NHK「その時歴史が動いた」
2000年3月29日(水)第一回
運命の一瞬、東郷ターン
 ~日本海海戦の真実~

を観て「東郷ターン」に興味があった。

 そこで今日は早起きした為(休みだと言うのに6時前から目が覚めてしまった)「日本海海戦」について私なりに調べてみた。(他にする事ないんかいの?)

 

1905年(明治38年)日露戦争中に対馬沖を戦地として、日本の連合艦隊とロシアのバルチック艦隊(バルト海艦隊)との間で行われた艦隊戦である。

 

日本海海戦 - Wikipedia2005年6月17日 (金) より引用

 「東郷ターン」とはその時、東郷平八郎司令長官がとった「丁字戦法」(上記サイト参照)の事である

東郷方式の丁字戦法は、一つ間違えば自滅行為にもなってしまう諸刃の剣であり、日本海海戦における丁字戦法の成功は、有効射程範囲のギリギリの所を見極めて、見事な「トーゴー・ターン」を決めた東郷の采配に負うところが大きいだろう。
上記サイトより引用

 まさしく、その時の日本の勢いを象徴するかのような作戦であるような気がする。
見事な「トーゴー・ターン」を決めた東郷の采配が賛美されているが、
これって「たまたま?」
実際、東郷司令長官は過去度々「丁字戦法」を失敗して敵艦隊を逃がしたようだ。
だが、失敗を元に東郷長官は敵が逃げられない狭い海域で敵の正面から決戦を挑む事が重要と考え、
まさしく日本海海戦の地図この場所がその時であった。
 
 そして作戦は大成功
日本は朝鮮半島の権益を確保できた上、新たに満洲における権益を得る。
ロシアに勝利したことは、列強諸国の日本に対する評価を高め、不平等条約改正の達成に大きく寄与。

 しかし現実には日露戦争に勝利したのは辛勝?
「たかだか小さな戦闘において敗れただけであり、ロシアは負けてはいない。」
これ以上の戦争の継続は不可能である日本が何とか譲歩し、米国がロシアを説得するという形で事態を収拾し、賠償金には一切応じないという最低条件で交渉は締結。

 この時の勘違い勝利が、今後の軍国主義に拍車をかけたのではないか?
そして、戦略の甘さ、総合力の低さに気づかずその延長線上に「巨大戦艦大和」の悲劇があるのではないか?

 この現実を当時の日本国民は知っていたのであろうか?
この事が正確に国民に伝わっていれば・・・・
もう少し違う方向に日本は進んでいたのではないか?
いや?それともこのまま突き進んだからこそ今の日本があるのか?
もしあの時、東郷長官率いる連合艦隊がバルチック艦隊に破れ、日露戦争に敗れていたら?
(ーー;)
まさしく「その時歴史が動いた」瞬間だ。

 w(・o・)w オオー!
もうこんな時間だ!!
今日は早起きしたんでプラモデル作ろうって思ったのに!!ヤバ!!

 しかし、
「帝国海軍指揮刀」
25万円かぁ~~
高い?安い?
買う人いるんだろうな~?

 つか、「三笠」のプラモデル作りたくなってきた。

ではでは (@_@)

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今日と言う日は?

 今日昼休みに食堂で点いていたテレビで、気になる話題をやっていた。
そのテレビは
「おもいっきりテレビ」
基本的にこの番組は嫌いであるが、
「今日と言う日は?」
(タイトル不明)と言うコーナーは結構好きである。

 その話題とは、48年前の今日起きた海難事故だ。
昔こんな事があったと先人から聞いたことがあるような、無いような気が私の頭の中で交錯していたためか、気になった。
 
 そこで早速調べると

昭和32年4/12午後0時50分、広島の三原市に属する瀬戸内海の佐木島向田野浦沖の寅丸礁付近で芸備商船の定期客船第5北川丸(40トン)が向田野浦から尾道へ向かう途中に沈没、定員77人のところを200人以上が乗っていた。この中には岡山の総社市の町内会の春の旅行中だった56人、同じく岡山の早島町共販組合の40人、岡山の笠岡税務署員20人などの団体客が含まれていた
誰か昭和を想わざる 様の魔の瀬戸内海域より引用

 この定期船には、行楽シーズンで定員の3倍の乗客が乗っており、16歳の見習い船員が(本人行方不明のため真相は定かではないが)操舵していたと言う事である。
kitagawa後日引き上げられた第5北川丸

  「おもいっきりテレビ」によると、今でも地元住民による追悼式なるものが毎年行われているそうである。

 この事故は、今から約半世紀前の話で、今では考えられない事かもしれないが、これから行楽シーズンでもあり、自分も含めて気を付けたいものである。

【参考】
事故現場付近地図1
事故現場付近地図2
当時の世相

ではでは(@_@)

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